
大石 あき( 株式会社ヴァルゴス 代表取締役 )
立教大学フランス文学科卒業。大学卒業後は映画監督を目指して、助監督の職につくも「仕事と女性としての人生との両立ができないのでは?」と悩み、転職する。その後、Web担当を経験したことからWebの世界に目覚め、Webサイトづくりを学ぶ。現在は、会社員としてECサイトのディレクターをしながら、WordPressサイト運用の講師も行なっている。
「元」登校拒否
子どもの頃は、本を読むのが大好きでした。そのためか、学校の勉強をあまりしなくてもそこそこの成績はとれており、学校はサボりがちでした。
通っていた私立女子校の校風があわず、高校中退を決意。
登校拒否とか中退をしても、大人になってから、会社をサボるとかすぐ辞めるとかはあまり関係がないように思います。仕事は責任感を持って挑めるので、全く別です。登校拒否児の親御さんがいらっしゃったら「大丈夫ですよ!」って伝えたいです。
「元」仏文科
学校の勉強は嫌いだけど、学ぶ意欲はあり大検を取得し大学を目指しました。今まで勉強していなかったので受験勉強は苦戦。二浪の年に立教大学フランス文学科に入学できました。大学では、文学やら哲学を学び、「人間とは」「真理とは」みたいな事を知りたいと思っていました。結局、学んだことは「そんなのはわからない」って事だったと思います。
大学に入学する前は「フロイト曰く…」というようなものを沢山寄せ集めればそういうものにたどり着けるように思っていましたが、フランスの哲学者はそういうのを寄せ集めるのではなく、「フロイトってこういうこと言っているけど違うと思うよ。なぜなら…」ということを全然違う視点で、理論を組み立てて書ける人たちで、全然レベルが違う。勉強は早々に諦めてしまいました。
勉強に挫折したとき、映画の授業で、1つの脚本から1分間のワンカットの映像を撮ってゲストに講評してもらうというものがありました。2年連続、ゲストは是枝裕和監督。当時は『幻の光』や『ディスタンス』で有名でした。そして2年連続「この作品が一番映画的」とベストムービーに選んでもらったのです。「これは!」と思い映画監督を目指そうと思いました。
「元」映画助監督
大学を卒業して、映画監督になりたいといっても、どうしていいのかわからず、映画学校行ったり、シナリオスクールに行ったりしながら自主映画のお手伝いなどをしていました。
そのうちに知り合ったプロデューサーさんや映画監督さんが現場に呼んでくれ助監督になれました。
しかし、せっかく始めた助監督の仕事もすぐに続けるのをやめてしまいました。少し経験して思ったことは「私は映画監督にはなれないかもしれない。助監督で一人前になるにも今のレベルでは10年かかる。そうなったら結婚して子供を持つとか普通の幸せはないかも…」ということ。
現場のみ参加する職種ではなく、準備段階から参加する助監督の場合、一度契約すると少なくても3〜4か月(大作になると1年かかる場合もあるそうです)は休みがなく、それだけになってしまいます。男性なら結婚して子供がいる状況でも大丈夫ですが、ママで助監督など全く想像できませんでした。撮影現場の仕事をとるか、普通の女性の生活をとるか悩み、はじめたばかりの仕事をすぐに辞めてしまったのです。
最近、映画制作の現場でも様々な改革が始まっているそうです。それでも、日本人の国民性だったらハードワークをしてしまうかもしれませんね。(私はのんびりしすぎて呆れられていましたが)
「元」苦情受付
脚本なら自宅でもできそうだし…とプロデューサーさんから脚本の仕事をもらったりしながら映画への未練も残しつつコールセンターで働きはじめました。
不動産会社のコールセンターでは、雨漏りの修繕や騒音トラブルなど入居者のクレーム対応をしました。
入ってすぐ、周りのメンバーが全員辞めて1人で全苦情を受けつける事態に。切った瞬間にまた次の電話をとり、怒鳴り声をききすぎて耳鳴りがする……など、苦労しました。しかし、次第に仕事に慣れて「お客様の望んでいること」と「会社にできること」の間の「落としどころ」がわかりはじめました。相手の話を傾聴する余裕もでき、お断りするような場面でも逆に「話をきいてくれてよかった」と感謝され、嬉しかった思い出もあります。
「元」Web担当者
同じ会社で「映画の仕事をしていた」という過去を「写真を撮っていた」と勘違いした上司からWeb担当者へ異動を命じられました。同僚がいるから安心と思ったのもつかの間、その同僚もすぐに退職し、右も左もわからないままWordPressでのコンテンツの更新や制作会社へ修正のお願いをしたりしていました。
Web担当の仕事をしてみると、制作会社へ原稿を渡してデザインしてもらうなどは助監督の仕事にも近く、久しぶりのディレクションの仕事にワクワクしました。分析をしてより良くすることができる点は映画よりも面白いかもしれないと思う場面もあり、「Webをもっと勉強したい!」と仕事を退職しWebの勉強をすることにしました。
「元」フリーランスママ
専門学校に通うにしても学費が高いし、クラウドソーシングでライティングの仕事を受けたりしながら3か月くらい模索していました。ハローワークに通っているうちに、職業訓練で半年間HTMLやCSS、IllustratorやPhotoshopの勉強ができるとがわかり、受験し合格。クラウドソーシングでWebにまつわる仕事をするガッツが認められたそうです。
「さあ、頑張るぞ!」と思った矢先に妊娠発覚。職業訓練での半年間は妊婦でした。食べ悪阻で休み時間は隣の席の男の子と一緒におにぎりを早弁していたのが思い出深いです。
職業訓練は、Webプログラミングだけでなく、デザインやカラーの講義もありとても勉強になりました。グループ制作では、ナッツやドライフルーツのネット販売サイトを制作。パッケージデザインをしたり、撮影したり、ライティング班、コーディング班など分業もしっかりしてコンテンツを作り込んだ力作でした。
修了時は、すでに妊娠8か月になっており就活は断念。民間の専門学校でおこなう職業訓練は修了生の就職率が学校の成果になるので私はその専門学校に迷惑かけることになってしまいました。
ごめんなさい。でも、今もWebで頑張っています。
出産後は、チラシ制作やホームページ制作の仕事を受けつつ、ゆるゆるフリーランス仕事をしていました。
ママ社長
ヨガの先生をしている友人に産後の骨盤ケアをしてもらったら凄く良く、産前よりもキュッと腰の締まった身体になりました。(その後のストレスで激太りし今では見る影も無いですが)感激して、「これは皆にやってほしい」とその友人に話し「お母さん向け骨盤ケアサービスにして出産祝いにしたらいい」と、話が盛り上がり、その友人の後輩も手伝ってくれることになり、あれよあれよいう間に「じゃあ、会社に!」となりました。
会社をはじめてみると、保育園に通いはじめた娘が頻繁に風邪ひく、それが私にもうつるの繰り返しで思うように動けませんでした。事業そのものも骨盤ケアサービスに集中できず、ハーブティーの製造販売など、迷走し、半年で資金が尽きてしまいました。ほぼ同時に、一緒に働く友人の心も離れてしまったので、それらの事業をやめる決意をしました。
すぐに事業を潰した私が言うのも何ですが、会社にして良かったなという点もあります。
①フリーランスより認可保育園に受かりやすいこと。ベビーシッターに頼んだり幼稚園の延長保育を利用したりしていたら起業にかかるお金より高いかもしれません。
②仕事を受けやすいこと。企業によってはフリーランスと直接仕事をしないところもあるので会社にした方がビジネスチャンスはある気がします。
「元」 ブログの書けないWeb制作会社
起業前にしていた仕事に立ち戻って、ホームページ制作やWebコンテンツのライティングの仕事を受けることにしました。会社を畳もうと求人に応募した先からホームページ制作の依頼を受けたり……本当にいろいろな縁から仕事が生まれました。ありがたいです。
夢だったオウンドメディアの立ち上げなどにも関わらせていただき、忙しくしてきましたが、他のサイトにせっせと記事を書きながら自分のホームページは全く更新せず…
一方で、様々な案件に関わりながら、成功するサイトと失敗するサイトの違いがわかってくるようになりました。中小企業で成功するサイトは、社長が積極的にサイト運用に関わっています。一方で、いくらカッコいいデザインで作ってもらっても運用していなければ意味がありません。
「忙しくてブログが書けない?」
私自身がそのような状況だったら、「社長が頑張らないと駄目ですよ」などとは言えません。「ブログ書く暇なんてないですよね……」と言いあうだけになってしまいます。「私が提供したいのは、デザインがいいだけのWebサイトではない。私みたいな小さな会社でも集客できるWebサイトだ」と思った私は、「変わるなら、まず自分から」とブログを書くようにしました。
ブログを一生懸命書いていたのは3ヶ月程度。その後は、ときどきしか書いていませんでした。それでもお問い合わせいただいたり、講師業やライティングの依頼があったりしたので、やっぱりホームページを作ってブログを書くのはとってもいいように思います。
2018年:春
現在、私は主に自宅や、契約しているコワーキングスペースなどで自由に仕事しています。締め切りが迫っているのに子供が病気になってしまったときは、子供を抱きながらiPhoneで原稿を書くなんてこともしなければなりませんが、時間に余裕があれば、ついていてあげることもできます。
「長期拘束される映画の仕事を諦め、東京以外で、なかなかいい仕事がない」と思っていた私にとっては幸せな生活だな…としみじみ感じるときがあります。
そういったことが出来るのも私が関わっているWebの世界のおかげだと思っています。ホームページを制作したり、運用に関わらせて頂いたお客様のなかにはメディア取材を依頼されたり、ブログがきっかけで新規事業を始めた方もいます。
「ここで生きる」と決心しても、
地方だといい仕事や出会いがないと思っていませんか?
ママだと動ける時間が限られているから簡単なパートしかないと思っていませんか?
小さな会社では勝負ができないと思っていませんか?
今は、Webさえあれば、どこにいても自分が活かされる道があります。
私は、ホームページ制作や運用のサポートを通して、「ここで生きる」人が「ここで活かされる」社会を作っていきたいと思っています。
窓の外の桜を眺めながら
ウグイスの鳴き声を聞きながら
この原稿を書いています。
2020年:春 その後…会社員になりました
2020年春、コロナウィルスの流行により、在宅勤務が推進されるようになりました。「フリーランスで在宅で働ける」から「会社員で在宅で働ける」に状況が変わりました。
ちょうど同時に、以前から関わっていたECサイトにより深く関わることが決まったので、「だったら正社員にしてください」とお願いしました。
会社員生活と会社経営の両立を目指します。